横山剣 クレイジーケンバンド × 秋丸真一郎 明月堂 取締役社長 特別対談
横山剣 クレイジーケンバンド × 秋丸真一郎 明月堂 取締役社長 特別対談

横山剣×九州交響楽団
ハンサムシンフォニック
コンサート
特別対談

2025年3月19日、キャナルシティ劇場にて開催されました『横山剣×九州交響楽団 ハンサムシンフォニックコンサート』に、明月堂が特別協賛いたしました。
1997年にクレイジーケンバンドを結成以来、さまざまなスタイルの音楽を紡ぎ出す横山剣さんと今年70周年を迎えた日本屈指のオーケストラ九州交響楽団が初共演。
当日は、多くのお客様にご来場いただき、大盛況のうちに終えることができました。
横山さんにおかれましては、コンサート前でお忙しい中、取材をお受けいただき、ありがとうございました。

横山剣
横山剣

クレイジーケンバンドのボーカル。ロック、ポップス、昭和歌謡、ソウル、ファンク、リズム&ブルースなど、幅広いジャンルを取り入れた音楽で多くのファンを魅了する。

秋丸真一郎
秋丸真一郎

サラリーマンを経験後、30歳を前に明月堂に入社。配送業務から経験を積み上げ、2013年社長に就任。経営の重責を一身に担う。

横山剣さんと九州交響楽団とのコンサートが実現したときの
心境をお聞かせください。

秋丸真一郎社長(以下秋丸社長)/20数年前、ふと立ち寄った店内BGMで『タイガー&ドラゴン』が流れており、私のこころに突き刺さりまして、その場でCDを即購入。それ以来、横山さんは私の憧れの存在です。
今回のコンサートのオファーですが、「横山剣さんと、いつか一緒に仕事ができたらいいよな」くらいの漠然とした思いは、ずっとありました。
まさか、本当に実現できるとは。びっくりの一言につきます。今も隣にお座りいただき、少し緊張しています。
憧れの横山さんのコンサートをこうやってお手伝いすることができて、大変光栄です。

秋丸社長 横山さん

今回オファーを受けたときの心境をお聞かせください。

横山剣氏(以下横山さん)/オファーのご連絡をいただいた際、本当にいろんな気持ちが駆け巡りました。小さい頃から、作曲家になりたかったんですが、自分の曲をオーケストラで演奏するのが一つの夢でした。
コンサートで演奏する『男の滑走路』のなかで「今 私のまわりを見えないオーケストラが奏でる」とあるんですが、まさかオーケストラと本当にコラボできるとは思いもよらなかったです。
そして、そのバックアップを明月堂さんにしていただいて、ありがたいかぎりです。

「傑作まんじゅう〜♪」のジングルでおなじみの『博多通りもん』。
お二人の“傑作”を教えてください。

横山さん/僕の傑作は、『タイガー&ドラゴン』です。この曲は、考えて生まれた曲ではなく、車を運転していたら突然頭の中から湧いてきたんです。メロディーも歌詞も同時に。
ドラマのオープニングにつかっていただき、そこから僕らのバンドの知名度が上がるきっかけになった、運命的な楽曲です。
もちろん、今回のコンサートでも演奏しますよ。『タイガー&ドラゴン』は、オーケストラを想定した曲ではないため、本コンサートの指揮・音楽監督の藤野浩一さんに編曲していただきます。どんなアレンジをしていただけるのか、今から楽しみです。

秋丸社長/私の傑作は、もちろん『博多通りもん』です。
『博多通りもん』は、最高の素材を、最高のレシピで製造し、最高のスタッフで世に送り出すことができました。開発に3年かかり、1993年から販売を開始。発売から、32年経ちますが、現在もご好評いただいている自慢の商品です。

横山さん、福岡・博多の銘菓『博多通りもん』はご存知でしたか?

横山さん/もちろん知っていましたよ。僕は甘いものも大好物で、『博多通りもん』は福岡を訪れる度に、福岡空港やデパートで購入しています。

ぜひ、『博多通りもん』をご試食ください。

横山さん/お!いいんですか。
ミルキーな白あんがとてもいい。食レポが得意ではないのですが、 “こころに、グッとくるお菓子”ですね。
あと、『博多通りもん』は、お土産で買って帰ると、とても喜ばれます。何と言っても福岡でしか買えないので。

横山さん

秋丸社長/博多の人にかわいがってもらうために、福岡周辺エリアでしか販売を行っていません。『博多通りもん』は、博多の人たちにドヤ顔で、よその県にもっていってほしい名品だと自負しています。
実は、本公演を記念して横山さんのオリジナルパッケージを作らせていただきました。お土産として、ぜひお持ち帰りください。

横山さん/ありがとうございます。僕のポーズのデザインバージョン! おしゃれですね。

横山さんと横山さんオリジナルパッケージの博多通りもん

※横山さんオリジナルパッケージは非売品です。

横山さんは曲づくり、秋丸社長は菓子づくり。
お二人の“つくること”への情熱を教えてください。

秋丸社長/まず、自分が納得いくものを世に出したい、が一番の気持ちです。あとは、“正直にあること”。真面目に、ごまかさない、をこころに決めています。
さきほどの話と同様に、いい素材を使うこと、これは飽きられないために、絶対に必要なことだと思っています。味をとことん追求し、シビアに調整して、世に出した。そのこだわりが、世間の皆さまに認められた結果だと思っています。
『博多通りもん』は、販売数ヶ月で福岡空港での取り扱いがはじまり、新しいもの好きの博多の人にすぐに受け入れていただくことができました。お客様の期待を裏切らない味で、リピーターがどんどん増えていった、という流れで今日まできています。

秋丸社長と横山さん

横山さん/さきほどの秋丸社長の「自分が納得いくものを世に出したい」、この想いとても共感します。
僕もまずは、自分が聞きたい音楽をつくること、というのが根底にあります。それが世の中にポピュラリティーをもって、伝われば喜びになるんですけど、最初の時点は自分が聞きたい音楽。曲づくりは、浮かんだら、すぐに手をつける! 納得いくまで。頭の中で浮かんだメロディーを、世に出すまでブレないように、初志貫徹です。しかし、いろんな都合やこだわりが途中で出てきたりもしますが。
でもやっぱり、脳内音楽に極力忠実に従って、再生する、これは一番こだわっていますね。
さきほどの『タイガー&ドラゴン』も、運転中にフッと頭の中にメロディーが思い浮かんだんですが、運転中に思い浮かぶことが多いですね。
あとは、飛行機の着陸時。香港の啓徳空港がまだ現役だった時代に、機内で思い浮かんだ曲は、今もツアーで演奏していますよ。
頭に浮かんだ曲は、録音するまで脳内に残っていれば、いい曲で、消えちゃったら大したことないな、の精神でやっています。
意外と、現実的に難しいことであったりするんですけど、そこをなんとか力技でつくりあげています。

10年後のご自分はどうなっていると思われますか?

横山さん/正直、10年後になってみないとわからないけど、理想としては生涯現役。そうなるように、なるべく良い状態で皆さんへお届けできるように。健康とか、いろんなこととか含めてですけど。
あんまり、生真面目にやりすぎると、僕らの良さがなくなっちゃうんで。そこらへんのバランスがポイントですね。いろいろ時代が大変なこともありますけど、笑えるような、笑えるっていうのは爆笑ではなく、幸せになる曲をお届けできたらいいですね。

秋丸社長/引き続き、『博多通りもん』を愛していただければ、嬉しい限りです。ほかは何も。

秋丸社長、クレイジーケンバンドの曲で一番好きな曲と
その思い出を教えてください。

秋丸社長/一番…。うーんそうだな、一番はなかなか決められない。どの曲も名曲ですし。
例えば『あぶく』の世界観が好きです。メロディーも歌謡曲、ソウルミュージック、リズム&ブルースなど、様々な音楽ジャンルの要素が融合した、独特のもので、横山さんにしか作れない曲だと思っています。

横山さん/おお。すごく聴き込んで、もらえているようでとてもうれしいです。『あぶく』はクレイジーケンバンドの音楽性を象徴する1曲です。

秋丸社長/実は、妻も横山さんファンでして。私が横山さんにハマりたてのころは、クレイジーケンバンドの曲を何度も聴く私のことを冷ややかな感じで見ていたのですが、ある曲がきっかけで妻も大ハマリ。ちょうど、『魂拳 -Soul Punch- 』の頃ですね。そう、『男の滑走路』。この曲が妻のツボにハマリました。
今では、妻とともに東京、大阪、横浜などへライブ参戦しています。さらに、妻は各地に横山さんファンの友だちがいるほど。
横山さんのおかげで、交流の輪が広がっています。

秋丸社長

横山さん愛が尽きない、秋丸社長ですが、
ほかにも『観光』『True Colors』もお好きと聞いています。
街の描写がとても美しい、この2曲にちなみまして、
お二人の地元愛についてお聞かせください。

秋丸社長/私は博多で生まれ育ちました。
博多は日本海に面する港町。横山さんの地元の横浜ともよく似ていると思います。
それこそ、私がちいさいころは、博多には米軍基地が置かれていましたし。米軍の匂いがあちこちする街でした。セブンアップの看板であったり、ラッキーストライクの看板であったり。もう残っていませんけど。
FENも流れていましたし、そういうのがあって、『サンハウス』とか…。
※FENとは、米軍が放送する米軍向けのラジオ放送

横山さん/鮎川誠さん?
※福岡を代表するロックバンド『サンハウス』、『シーナ&ザ・ロケッツ』のギタリスト。

秋丸社長/そう、鮎川さん。それこそ、リズム&ブルースがたくさん生まれた街、というイメージが強いです。
博多もやっぱり、港町。懐が深い。悪く言うと飽きっぽい。そういった人たちを博多では、『あきやすのすきやす』というんです。
また、私の祖父(創業者/秋丸祐一郎)も、他の地域から博多へ移住し、地域の祭りに積極的に参加することで、少しずつ地域の方々に受け入れてもらえた、という経緯があります。私も小さい頃、地域の方々に可愛がってもらったのを覚えています。

横山さん/横浜は、やっぱり、港町特有の「来るもの拒まず、去るもの追わず」な部分が大きいんじゃないかな。
ちょっと、無愛想だったりするんですけど。例えば中華屋さんとか行くと、お礼も言わない、でも、こっそり焼売をおまけしてくれるとか。僕が「ありがとう」っていうと、ウインクしてくれたり、ツンデレなところがあったりして。そう、実は、シャイな人も多い印象。
数年しか住まないで、すぐにほかの国に行っちゃう人とか、別れも多い街でもありますね。
福岡にシンパシーを感じるところも多く、飽きっぽい、新しいもの好き、という点も似ていますね。あと、お祭り好き。僕も地元の祭礼委員会をやっていて、毎年、盆踊りで歌わないといけないんですけど、別に同調圧力とか、パワハラとかではないですよ。でも、見えない圧が(笑)
でも、それが愛おしかったりします。

秋丸社長と横山さん

食文化についてはどうでしょうか?

秋丸社長/やっぱり、横浜と博多は似ています。大陸や半島から渡ってきた文化も根付いていますし、外に開かれた街なんで、食文化もごった煮状態。

横山さん/2つの街のイメージは、夜の飲むところ。僕は、お酒飲めないんですけど、酒飲みだったら絶対に楽しい街ですよ、横浜も博多も。横浜には、大きなチャイナタウンがあり、600店以上の料理店がひしめいています。各地方の中華料理を楽しめる街という感じですね。
あと、ジャズやリズム&ブルースが流れているかっこいいお店もあります。
この博多と横浜の似ているところは、米軍文化の名残がある。博多だと『サンハウス』、こっちだと『パワーハウス』、『ザ・ゴールデン・カップス』だとか。ヤンチャで、バタ臭いバンドが出てきた土壌、すごい共通点がありますね。
で、そういう感じのお店も点在していました。中華料理店なのに金の横文字で、まるでロサンゼルスのチャイナタウンのような佇まい。今ではだいぶなくなっちゃいましたけど。

横山さん

横浜中華街は楽しいお店が多いんですね。
ところで、横山さんは横浜中華街でどのようなお店で食事をされますか?

横山さん/台湾料理店のルーロー飯が大好きです。『 THE ALFEE 』の高見沢さんにご紹介したら、とても気に入ってもらえました。あとは1969年からやっている老舗のハンバーク店にもよく行きます。中華街のコックさんに人気の街中華とかも。

福岡だと、水炊きもおいしい。あと、こっちのやわらかいうどんもイイネ! ごぼう天も。鯛茶漬けも。福岡は美味しいものもいっぱいで、イイネ!

音楽の文化についてはどうでしょうか?

秋丸社長/当時は「博多は、日本のリバプールったい」と呼ばれていましたね。博多は、本当に気候風土はリバプールに近いんですよ。
入口はアメリカの音楽で、ブラックミュージック、ジェームス・ブラウンとか、そういう音楽のほうが伝わっていた感じがします。そこにフォークの流れが入ってきて、ちょっと混沌としましたが、流れとしては、ブラックミュージックなんじゃないかな。

横山さん/ツアーでいろいろな都市を回っていますけど、地域地域でノリがちがいますね。それぞれ、地域特有のカラーがあっていいですね。
福岡は、笑顔が素敵なファンが多いイメージ。お客さんが楽しんでいるのがステージまで伝わる。割とヨコでノル方々が多いのが特徴かな。ノリ方のセンスが良いのは洋楽が根付いているからだと思います。

夢のような時間だったのではないでしょうか。
敬愛する横山剣さんを前に、いつも冷静沈着な弊社社長の秋丸も、
どこか緊張した様子。
しかし、対談が進むにつれ、お互いの言葉に深く共感し、
最後は笑顔で固い握手を交わしていました。

※2025年3月現在
秋丸社長と横山さん

株式会社 明月堂(めいげつどう)